今日の複雑な国民経済、あるいは世界経済全体を眺めたとき、経済の構造を立体的に把握すればするほど、むしろ国民経済的に貨幣の本質を見直す必要が出てくると思われます。
ただ、そのような国民経済的な、あるいはマクロ的な観点からの貨幣の本質論は、いままで誰もやっていないことであり、もちろんここでもそれに手をつけようとは思いません。
しかし、国民経済の物財およびサービスの循環に対応して、それとは逆方向に広い意味での通貨(マネー・サプライ)が循環していることは事実です。
その意味では、貨幣は有機体とも見られるような、複雑な国民経済の中の「血液」として動いています。
その血液なしには、ちょうど人体が死んでしまうのと同様に、国民経済もあり得ません。
かつて社会主義者は、貨幣なしにある種の社会主義経済を実現できると考えたのですが、今日の社会主義国で貨幣なしに国民経済を運営することに成功した国は一つもありません。
そういう意味では、AとBという人が、ただ物財と金とを交換した時期の金属貨幣の役割と、今日の複雑な国民経済の中の血液ともいうべき貨幣との間には、非常に大きな違いがあります。
国民経済に欠くことのできない血液としての貨幣をマクロ的に把握するためには、国民経済の循環過程をまず把握する必要があります。
社会主義経済では、たとえ不十分でも、配給切符が貨幣の役割をかなり代行しています。
しかし、資本主義経済あるいは自由主義経済では、貨幣が生産された諸物資を消費者の需要に合わせて配給する役割すら果たしているのです。
では、現実の日本経済に立ち戻って、中央銀行である日本銀行から発行されている銀行券(日銀券)について考えてみましょう。
日銀から発行される銀行券という貨幣は日銀にとっては債務です。
そこで、日銀券の発行の裏側は何であるかを考えねばなりません。
複式簿記を念頭におくと、銀行券発行に伴って生ずる日銀の負債増の裏には必ず資産勘定の増加があるはずです。
第一に、それは日銀の市中銀行に対なる「日銀貸し出し」であるかもしれません。
日銀の市中銀行に対する貸し出しは、日銀勘定では資産扱いになっています。
つまり、バランス・シートの資産欄に日銀貸し出しという金額が現れると、それに対応して複式簿記では負債欄に銀行券の発行が顔を出すわけです。
日銀が政府発行の国債を引き受けて銀行券を発行なる場合もあります。
日銀の保有国債は政府に対する債権です。
複式簿記のもとでは、政府に渡した銀行券は同時に日銀の負債、債務になり、両者がバランスします。
以上のことから、日銀券は本来、日銀の借用証書であることがわかります。
ですから、金本位制が成立している場合、国民が日銀券に対して不信の念を抱き、その兌換を求める一日銀に日銀券を持っていって金(きん)を請求なるときには、日銀は市中銀行を経由して国民の持っている日銀券を金に兌換しなければならない義務があるわけです。
しかし、今日の国民経済では、中央銀行はいわば“親方日の丸”的な存在であり、ほぼ完全な信用によって裏付けられています。
したがって、人々は銀行券が日銀の借用証書であるという意識をいっさい持っていません。
あたかも銀行券自体が万能の価値を持っているかに考えて、それを信用しきっています。
だからこそ、それをもとにして、いっさいの取引が成立するわけです。
いっさいの取引をスムーズに行わせる基礎的条件は何かを考えてみると、それは「貨幣の一般的受領性」であり、銀行券の高度の信認にあるといえます。
誰が出しても受け入れられるというのが一般的受領性ですが、この点、約束手形とか小切手は、それをすべての人が受け入れるとは限りません。
しかし銀行券にかんする限り、あらゆる人に受け入れられます。
このように、広義のマネー・サプライの中での銀行券は、一般的受領性という特徴を持っているといえます。
国民経済を一つの物財およびサービスの循環過程と考えた場合、貨幣はそれと逆の循環過程を描くことになります。
そうした場合、貨幣はいわば実物的な国民経済の循環現象にとって、単なる「ベール」にすぎないという考え方が出てきます。
むかしの経済学は「貨幣はベールにすぎない」と考えました。
あるいは実物の世界と貨幣の世界とを分離して理解できる、貨幣を切断、抽象して、物財だけの世界を分析することもできると考えたのです。
しかし、現実の経済においては貨幣は決してベールではありません。
貨幣が国民経済のある層に集中するとき、そこに富の集中が起こります。
大企業に融資が優先的に集中し、大企業への貨幣の集中が見られる場合には、大企業と中小企業との間に生産性や賃金の大きな格差が生じかねません。
そういう意味で、現実において貨幣は決してベールではない、と考えられます。
つまり、貨幣は物財を中心とする国民経済の循環現象を攬乱して、これにゆがみを与えることができるのです。
前節の最後で貨幣はベールではないと述べました。
そこで、貨幣はそれ自体購買力になるのですが、そうである限り、貨幣量の変化によって一国の購買力あるいは有効需要が形成される、という考え方が成立可能です。
古くからあった「貨幣数量説」は、現代では「マネタリズム」と称されていますが、では貨幣数量説、あるいは現在のシカゴ学派のマネタリズムとはいったいどういうものであるかを考えてみましよう。
注目すべきは、マネー・サプライの変化率が多少とも名目GNPの変化率に先行した動きを辿っているかに見えることです。
アメリカの経済学者アービング・フィッシャーの貨幣数量説は、恒等式によって示されます。
この場合に、もし取引量がある時点において、完全雇用あるいは完全能力で一定であるとします。
そして流通速度もときによって変わるが、いま仮にあまり変わらないものと考え、とりあえず不変だと仮定すると、古い貨幣数量説では貨幣量肘が増大すると物価水準は上昇すると考えました。
ところが、ここで問題なのは、取引量は一定であるとは限らないということです。
たしかに、有効需要訂正の増減に対応して、物価水準も変わるかもしれません。
しかし、取引量も変わるかもしれず、取引量の裏にある生産量も変わるかもしれません。
したがって問題をより現実的に解釈なると、MVの変動に応じて、ときには取引量とか生産量も変化し、かえって物価水準があまり変動しないケースもあり得ることになります。
ただ、逆に古い貨幣数量説が唱えたように、取引量や生産量があまり変動せず、MVの変化が物価変動にのみ吸収される場合もあり得ます。
たとえば非常に長期的に考えると、ときどき大戦争が起こっています。
大戦争の際には、政府は国債を発行して戦費をまかないますから、貨幣量は増大します。
そして一方、戦争中には人力はほぼ総動員され、戦争目的に向けて集中されますから、生産量はとことんまで拡大されてしまっていると考えられます。
したがって、そのときに膨大な国債発行が行われ、貨幣量が増加すれば、物価水準は急激な上昇を示すことになります。
このように100年とか150年といった非常に長期の期間を観察すると、貨幣量の動きと物価水準の動きの間には、かなり鮮明な共変関係があることがはっきりします。
また中南米では、悪性インフレが続いている国が多いのですが、そこでは、変化率は問題にならないくらい小さいのです。
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